雪室推進プロジェクト

世界と日本、雪や氷を利用した歴史

海外における利用の歴史

電気冷蔵庫がなかった時代、冬に降る雪や氷が天然の冷貯蔵庫として利用されていた。約2500年前の孔子の時代、中国にはすでに巨大な氷室(ひむろ)という氷の貯蔵庫があったと記録がある。西暦210年には曹操が氷井台(ひょういだい)という氷を用いた冷蔵庫を築いた。食料を安定的に確保することが戦略的に重要だったためであろう。一方、ヨーロッパでは夏になるとローマ皇帝が邸宅の庭に雪を運び入れ、吹きつける冷風で涼を楽しんだそうである。美食家で知られるナポレオンは遠征の先々に氷室を築き、華やかな食卓を囲みながら戦略を練ったと伝えられている。時が経ち、1880年頃にはアメリカのマンハッタンにあるカーネギーホールに氷冷房が導入されるなど、劇場の空調に氷が利用され始めた。

国内における利用の歴史

日本における雪(氷)を利用した歴史は古く、日本書紀に記録されているほどである。今からおよそ1300年前に奈良の天理市につくられた国内最古といわれる「氷室跡」が残っており、いわゆる「都祁の氷室(つげのひむろ)」を伝承している。また、平安時代の貴族にとって氷は贅沢な品であり、特別な存在でもあった。清少納言の枕草子によると「削った氷に甘い汁をかけたもの(現代のカキ氷のようなもの)」を「あてなる(優雅な)もの」とたたえ楽しんだようだ。江戸時代には雪国各地に雪室(ゆきむろ)や氷室が点在しており、氷の代用品として雪が重宝され、庶民でも手に入れることができたようである。明治に入ると冷凍機による人工の氷も作られ始めたが、とても高価であり、自然がもたらす冷たさへの需要は十分にあった。戦後、冷凍冷蔵庫の普及、高度経済成長による雪国からの人口流出、そして厚生省(現:厚生労働省)の衛生基準の厳格化に伴い、雪や氷への需要は消えていった。

【十日町市博物館 所蔵/撮影者:大関義男】

【十日町市博物館 所蔵】

上越の雪室

上越でも天然の雪が冷熱源として利用されてきた歴史がある。平成16年(2004年)発行の「上越市史・通史編」によると『大規模な人工的な雪室としては、少なくとも高田に四か所(寺町の森田雪屋が所有する金谷築大貫の雪室、高田地区仲町の三上氷屋が所有する金谷と大貫の雪穴、高田地区南城町の師団の雪室)、直江津に一か所(直江津の雪屋が所有する直江津地区五智の雪穴)はあり』と記されている。雪室が用いられていたのは、冷蔵庫が出回る昭和30年代頃まで。用途は、生鮮食品の冷蔵や医療用などだった。特に三上の雪室の雪は多くの病院で氷のう用として重宝されていたようだ。また、上越市史には『八千浦地区上荒浜を始めとする海岸沿いの村々では、古屋敷(廃屋)になった跡の砂山に横穴を掘って、魚の保冷用の雪を貯蔵する雪室を作っていた』ともある。海沿いの地域に大量の積雪があったとは考えにくいため、もしかすると他の土地から雪を運んできていたのかもしれない。

現在の上越市の地図と、かつてあった主な雪室の位置。点在していたことが分かる。

現在の上越市の地図と、かつてあった主な雪室の位置。点在していたことが分かる。

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