山の斜面につくられた雪室
旧安塚町(現在の上越市安塚区)の行野集落に残る雪室は、杉が茂る山の斜面につくられている。かつて小学校があった場所のさらに上の土地を利用し、雪室の排水が校舎横に出てくるように設計されていた。さらに以前は、昭和9年(1934年)から12年間、行野集落旧小黒村の村長を務めた大地主・横尾義智氏の邸宅だった場所。家の裏手の山にプライベート雪室を持っていたことになる。深さは3.5mで、小型プールくらいの大きさ。周りはコンクリートで固められ、排水穴がつけられている。昭和15年(1940年)生まれの横尾巌さんによると、親の世代の人々は毎年横尾家の雪室づくりを手伝っていたようである。雪室づくりは戦後まで続いたが、昭和30年代にはすでになくなっていた。この雪室跡は平成17年(2005年)2月に「旧横尾義智家雪室」として国の登録有形文化財に指定されている。
横尾家の雪室の跡。斜面を利用して搬出口を一段下げることで、雪が取り出しやすくなっている。
雪は何に使われていたのか
雪室を個人で所有していた義智氏が、何に使っていたかはまだ推測の段階ではあるが、村長に就任した当時、養蚕組合長を兼務していた経歴から、一つの可能性が浮かび上がる。雪の活用事例として、養蚕用の卵の孵化のコントロールや、蚕の種紙の保存管理などがあることから、旧小黒村でも雪が養蚕にまつわる使い方をされていたのではないか、と想像することができるのだ。義智氏は明治26年(1893年)に生まれ、数々の偉業を残した人物。「ろうあの村長」としても知られ、現在では集落の住民たちが遺品や邸宅などの保存管理に尽力し、雪室も整備されて一般公開されている。夏には雪室に保存された雪を活用し、清酒やビール、食材を冷やすこともできる。毎年7月には善智氏の偉功をたたえしのぶ会が催されている。義智邸の年貢倉を利用してつくられた記念館には邸宅の再現模型があり、雪室もミニチュア復元されている。
行野の集落の皆さんで雪室を復元している様子。